ふうわりと香ってきたよ金木犀去年と違う雨の夜道に
(2002年) |
秋を感じる風物の中で、私は金木犀の香りが一番好きである。
強すぎる香りが苦手という方もいらっしゃるだろうが、
どこからともなく漂ってきて、街を包んでしまうこの香りには
一種の魔力さえ感じられる。
短歌を詠みはじめて5年。
この季節、金木犀の歌を詠むのが習いになってしまった。
その中から冒頭の歌を合わせて5首、紹介させていただきたいと思う。
甘き香(か)にふと振り返ると金木犀道に散れるは無数の十字架
(1999年) |
厳密に言うと、この歌は、金木犀という植物の微妙な時差を無視している。
香りがするのは花の咲き初めで、散るころにはもう、香りはかすかである。
でも、なんだか自分を犠牲にして私たちを楽しませてくれるこの花の姿に、
イエス・キリストの十字架を重ね合わせてしまった。
さかり過ぎ道に散り敷く金木犀天から落ちた星に似ている
(1998年) |
前述の歌とイメージはほとんど同じだ。
「天」「星」… やはり神聖なものに見立ててしまう。
この歌は、教育テレビの「NHK歌壇」という番組に投稿したところ、
佳作に選んでいただいた。
木犀の季節終わりて街がまた透明な風とり戻す夕(ゆう)
(1997年) |
木犀という植物には金と銀があるらしいが、私たちがよく目にするのは
金のほうである。
だから、勝手な思い込みかもしれないが、金木犀の香りがしているあいだは、
街が金色の「もや」にかかっているような気がする。
空気は半透明。香りとの相乗効果で、少し酔った気分にさえなる。
その香りがいつのまにか消えると街は透明な空気をとり戻し、冬への準備に入る。
そんな空想にふけってしまうのは私だけだろうか。
風の色はうつりにけりな木犀の季節終わりて歳ひとつとる
(2000年) |
このエッセイ最後の歌。
短歌には「本歌(ほんか)取り」という手法がある。
有名な歌の一節をアレンジして作る、まあ、パロディである。
この歌は恐れ多くも、百人一首の中にある小野小町の
「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」
から本歌取りさせていただいた。
この歌もテーマは、「空気」。
でも空気では歌言葉として色気がないので「風」にした。
おまけに私の誕生日は11月5日なので、
自分の一年の締めくくりとしてもこの歌には思いを込めた。
そうしたら、手前味噌になるが、この歌は朝日新聞の「朝日歌壇」で入選した。
掲載されたのもピッタリ2002年11月5日。さすがに嬉しかった。
この年齢になると誕生日もうっとおしい存在だが、心の節目としては大切だろう。
そんなことを感じさせてくれた金木犀に私は感謝したい。
今後も、金木犀の香るころ、毎年歌を作っていきたいと思う。
と、いうより、あの甘い香りに包まれると、作りたくなってしまうだろう。
駄作でもいい。
日記をつけるように、毎年の秋の1ページに、私は金木犀を登場させたい。
あの素敵な香りを放つ、献身的な小さな花が大好きだから。
《2002年9月27日》
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いざわひさよ
歌よみ、ライター。音楽にのせて自作短歌を朗読。
「おもいっきり素朴にLOVE&PEACEを歌にします。
日常の何気ない喜び・悲しみから、この国・この星の未来まで。
短歌って楽しい!って思っていただけたらな」(ライブ案内より)
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