猫にはよく会う。のだけども、しずかに見つめ合いながらお互いをねぶみして目を閉じる。そのすきに猫は姿を消す。僕も姿を消す。 せまい路地というよりも民家のすき間を通り抜け、塀と塀とあいだから古い石でできた“流し”を踏み台にして裏庭へおりる、という移動方法を僕と猫たちはとっており(さちえは道路を歩く)、台所の窓の下などをすり抜けながらひっそりと息をつめて気配を消しているのです。 お互いに。 が、たまに僕はカメラを取り出してシャッターを切ることがあり、マナーを重んじる近所の猫たちに不評です。もちろん猫好きな人間たちには気さくに対応するのでしたが、僕は小学生たちに「もりねこ」とよばれて給食のパンを分けてもらってる手前、猫たちも僕を人間扱いはしてないのでした。 「こころのカメラだよ、そういう時は」 とさちえは大変よくないことだと僕をしかります。もっともです。最近は“こころのカメラ”を使うためにデジカメの出番はかなりにへってはいるのですが、僕は「人でなし」もしくは「ろくでなし」でありますゆえ、また写真を撮りにでかけるのでした。 あさましいことです。ちーん。 |