タロの日韓バリアフリーの旅 |
|
横浜ベイウエイブの写真・ビデオはこちら横浜ベイウエイブは、年令やスキルを問わず誰でも参加できる取材サークルです。メンバー募集中。 > メールください いきさつなど2001年11月16日、中村哲先生のアフガニスタン報告会でばったりご一緒した門司さん。彼女とはじめた「横浜ベイウエイブ」がこの取材のきっかけです。ペニーレインで服部一弘さんにお会いした帰り道、彼の旅を応援しようという方針を二人で決めていました。 出会う人に僕はこの旅と彼のことを話しました。バイト先のそば屋ではチラシと募金びんを置かせてもらい、ビデオが趣味の店主の橋本さんに「ビデオ撮りましょうよ」とそそのかすと、たちまち「トライクと伴走したいよね」という話になり(汗)、橋本さんが友だちのm@rさんに車の運転を頼んでくれました。(注:当日のなりゆきで結局橋本さんが運転することに・・) その後、講演者を探していた称名寺芸術祭の会議で服部さんを推薦。「ぜひお願いしたい」という事が決まったのは服部さんの出発直前です。(11月に長浜ホールで服部一弘さんの講演会を予定しています) 会議が終わったあと、「服部さんの写真撮ってみたいです!」とうれしそうに話す芸術祭ボランティアの木下めぐみさんにカメラマンをお願いしました。やりたい人がやるのが一番。 そして出発イベント前夜、いきなり門司さんから「朝の準備スタッフが足りない」という電話。僕は夜の街を歩きながら芸術祭プロデューサーの森田聡彦さんに電話をかけました。事情を伝えると「一度会っておいたほうがよいですし」とこころよく引き受けてくれたのです。 そんなこんなで4月14日(日)、森田聡彦さんと僕はテーブルなどを運ぶため朝九時に現地で待合せ。お蕎麦屋さんの橋本さん、友だちのm@rさんとYohさん、大学生の木下さんの四人は、トライクと伴走するワゴン車で。門司さんとR-m'canさんは別行動。それぞれの足で会場の横浜ワールドポーターズへ向かいます。総勢八名。 このページはそんな僕らが、服部一弘さんを見つめ続けた一日の記録です。 横浜ワールドポーターズをしらべてみる99年9月10日にオープンした延床面積約10万平方メートル(マート棟約7万2千平方メートル、うち売場面積約3万平方メートル)のFAZ指定を受けた商業施設。総事業費約ニ百億円。来客数年間1100万人(約3万人/日)売上240億円(約7千万円/日)を見込む。 売場の半分近くを占めるマイカル(ビブレ)が2001年9月14日民事再生法の適用申請。イオン(ジャスコ)の再建支援を受け入れ11月22日会社更生法手続開始の申請、12月31日会社更生法手続開始決定。 施設の運営は第3セクターの株式会社横浜インポートマートです。 僕のおすすめは海の上を歩く「汽車道」。横浜デートナビ「横浜汽車道」,横浜線沿線散歩「汽車道」,横浜中心部徹底散策「汽車道」。89年の「横浜博覧会」で僕も乗った汽車が走っていたのがここだったとは。 < 埼玉からわざわざ来た人 ところで服部一弘さんて誰なのさ?(汗)市民セクターよこはまのページがGoogle検索でトップに(汗)。 服部一弘さんが登場しているページを集めてみました。キーワードをいろいろ工夫したらもっとたくさん見つかるはずです。 > Google 服部さんが登場するWebページを読めば読むほどに勇気がわいてくる単純な僕。バリアは車椅子だけじゃない。「まだ何もやっちゃいねえだろ。」自分に声をかけるのでした。 4/14(日)の取材スタッフ、ボランティア
というわけで、2002年4月14日(日)
|
のらかんより:当日(4/14)の写真が数十枚、ビデオがニ時間半ほどあります。お使いになりたい方ご連絡ください。 > メール |
|
INDEX > のらねこ観光協会 > お茶の掲示板 | メール |