「タロさん×横浜市長」で考えた。文・みなみな
「平等」にこだわるあまり

テレビの画面やホームページの画像で見る彼に
「なんだか爬虫類っぽいぞ。」とか
「胡散臭いぞ。」という印象を抱いていたのだが
実際大声を出せば届きそうな距離にいる彼は
「かなりまともな感じで、まともな事を喋る、そつのない」
人物だった。

例えばタイムリーな話題でいくと「ワールドカップのチケット問題」。
空席ばかりをこれでもか、これでもかと映すマスコミにも問題あり、と。
警備上必要であるから故意にあけてある席もあるのだ、ということを
なぜか報道しない。

そして本当に「ここからじゃ今回は見えないからあけてある」席もあるのだ、と。
(普通の競技で使う時よりも厳重に警備しているので、こういう「見えない席」が
 発生するらしいです。)
だったらそれは視覚障害者に提供してはどうか?
目は見えないけれど、その場の雰囲気は味わいたい。
ならば普通の人では「見えない」と文句がつくであろう席を
使うのはどうだろう?

こういう事をいうと「目の見えない人だって同じなんだから失礼だ。」とか
言い出す人間がいる。それは違うんじゃないかと。

・・・まったく同感。
「平等」にこだわるあまり「合理性」を欠くのはわたしも好きじゃない。
障害がある人を差別しないということと「みんな同じ」という扱いをすることは
違うと思う。
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